1.3 研究方法

前述のように、静的な言語的分析モデルで、翻訳行為を考察するのでは、コミュニケーション行為である翻訳の動態的な性質がとらえにくい。種々の文脈に置かれた翻訳行為を考察するには、緻密な言語的統語パターンからではなく、より明快にコミュニケーション機能を反映できる不変項目を介し、STとTTの比較を行うことで、シフトを引き起こす要因を見出す研究方法が必要とされる。この点で、本論文では、トゥーリーの記述的翻訳研究(DTS)の方法と、Chestemanの「翻訳規範」に関する理論を部分的に改善したうえで、研究の枠組みに取り入れ、情報理論の視点を手がかりに、研究を行う。

1.3.1 記述的翻訳研究(DTS)の部分的改善

20世紀70年代、トゥーリーは翻訳の実践に焦点を合わせ、「翻訳規範」の構築をめざす記述的翻訳研究(DTS)を提案している。記述的翻訳研究で扱う「翻訳規範」は、ルールや法則と対立した概念で、法則のようにどう訳すべきかを解決するものではなく、一般的な翻訳行為を対象にどう訳されているかを同定するための翻訳理論である。この理論は明快な方法論に沿い、翻訳行動を非規定的に考察することが特徴である。

それを簡単にまとめると、(1)まずTTをTCのシステムの中に位置づけ、その受容性の具体的な状況を把握する。(2)STとTTの間におけるシフトを発見し、STとTTが部分的に対応するあり方を見つける。(3)最終的にはSTからTTへの翻訳プロセスにおける一般的な傾向を明らかにするということになる。

だが、翻訳を異文化間コミュニケーション行為とみなす本論文の立場からすれば、TTをTCの中に置いて、その受容性を考察するといっても、そこには限界がある。むしろコミュニケーションの起点であるST、STを取り囲むSCのシステム、そして、SCとTC、STとTTの相互関係をも考察すべきだと思う。

1.3.2 情報的シフトの同定

STとTTの間に生ずるシフトの分析は、二つの課題を抱えている。前述のように、一つは分析用の言語的モデルが過剰に複雑なため、文化的システムに起因する動態的機能を柔軟に説明しきれないということ、もう一つは、起点言語(Source language;以下SLと略称)と目標言語(Target language;以下TLと略称)の対応ペアの選び方がいまだ体系化されていないことである。この現状に対して、ハーマンズは、翻訳研究、特に記述的な翻訳研究が学際的な視点を導入することの必要性を訴えている(Hermans,1999)。

本論文では、STとTTの等価を認め、それを異文化間コミュニケーションが成り立つ前提とする。STとTTの等価の如何を把握するには、STとTTの共通する何らかの第三者としての不変項目が必要である。機能主義的翻訳理論では、翻訳はSTの読者に提供された情報をTTの読者に再提供する営みであると定義されている。STとTTの間に流れているのは、情報そのもので、それこそSTとTTの不変項目だといえよう。だが、情報伝達のプロセスともみなせるネットニュースの翻訳は、翻訳者の意図と責任、SCとTCの融合と衝突、メディアとノイズ(雑音)、STとTTのジャンル·文体での異同など、様々な関係に依存している活動である。各関係をバランスよくするためには、文脈状況に対応する動態的な情報の等価を許容する姿勢が欠かせない。したがって、本論文では、情報的アプローチを介して、STとTTの間における情報上の等価ペアをいくつか同定しようとする。

一つは、情報の対応する実体の等価である。ネットニュースの翻訳にとって、情報実体の客観性が何よりである。それは報道側の重視すべきところであると同時に、読者の受容ニーズでもある。とくにネットニュースの翻訳を異文化間コミュニケーションと位置付ける場合、TLの読者にとって、関心を寄せられる客観的な情報実体がなければ、たとえ意味的、文体的等価が達成されようとも、コミュニケーションの機能は果たせない。

したがって、本論文の中核的な部分では、まず固有名詞の中日翻訳にみられる情報実体の転移を考察する。ネットニュースに出現する固有名詞は人名、地名、機構団体名が一般的であり、客観事実である情報実体の情報要素を担う重要な部分として、受容者の関心を引く対象物ともいえる。固有名詞の翻訳で見られる、同一の情報実体に対して、情報内容と言語コードのつながり方がSTとTTの間においてずれるという現象は、受容者のニーズを満たすためであると同時に、報道機構の動機をも反映しうると想定される。そのため、本論文では、固有名詞の翻訳実例をまとめ上げ、記事内部、およびジャンルの間における情報内容とコード形式のつながり方の変化を分析する。

二つ目は有効な情報の量的等価である。これを考察するために、主として冗長度)の測定、および散布状況の分析を実施する。

有効な情報と冗長な情報が併存するのは、情報伝達の常態である。文化的システムの移し換えが原因で、STでの有効情報が等しくTTに伝わるために、TTには冗長な情報を加える、あるいはTLには過剰で、STには必要な冗長な情報を削除するというのが異文化間コミュニケーションの円滑化に必要で、かつ肝心な一環であろう。本論文では、STの冗長度とTTの冗長度をそれぞれ測定する。それをもとに、TTの冗長な情報がどの程度変わるかいわば「TTの冗長度変化率」を計上するうえで翻訳者の脱言語化の行動を見る。

さらに文化、メディアの角度からそれぞれTTの冗長度変化率との相関性について質的分析を行う。その結果、翻訳を左右する文化とメディア要因の相互関係をシステム的に把握する。

第三には情報価値の等価を分析する。ネットニュースの情報価値は言語によってその具現する形式が異なる。語種別で情報価値が異なるという日本語の語彙特徴をふまえ、TTでの語種分布状況を統計したうえで、TT全体の情報価値の如何をとらえる。

SLである中国語の情報価値が明示的な言語形式によって判断しがたいという状況をふまえ、STとTTの間における情報価値の等価を不変項目とする条件下で、まずTTの語種分布状況をSTの情報価値のあり方に関連付ける。そして、STの情報価値を生み出すとされるSTのジャンルと文体的特徴とTTの語種分布状況の相関関係について、t検定を実施する。そのうえで、STの文体、ジャンルと翻訳者の語彙選択行為の関連性を説明する。

1.3.3 チェスタマンの「翻訳規範」

上述のように、本研究は、記述的翻訳研究(DTS)によって、翻訳行為にみられる傾向性をまとめ、それを翻訳規範として導きだすのが狙いである。だが、トゥーリーの提案する「翻訳規範」は、一般的な翻訳行為の呈する法則の同定に重きが置かれる。それに対して、同じ記述的翻訳研究(DTS)に携わるチェスタマン(Andrew Chesteman)の「規範」概念は、異なる翻訳パターンの発見をめざすための記述的機能に焦点を合わせるものとして、多面性を持つ翻訳行為の制約に有効である。とりわけ「プロセス規範」は、翻訳プロセスを層化して記述している点で、翻訳者の意思決定を左右する動的プロセスの究明、および翻訳実践のマニュアル的な規範の構築に役立つのではないかと思う。

「プロセス規範」は3つの種類を含める。そのそれぞれは「責任規範」(accountability norm)·「コミュニケーション規範」(communication norm)「関係規範」(relation norm)である。そのうち、「責任規範」は、翻訳者の責任にかかわるもので、信頼性と入念さといったプロとしての基準に関連する。「コミュニケーション規範」は関係者間のコミュニケーションの効果を図る規範である。「関係規範」は受容者のニーズ、テキストタイプなどを考え、STとTTの相互関係を調整するための規範となる。

以上を参考に、本論文では、まずネットニュースにおける固有名詞の翻訳を対象に、最も忠実性が求められ、いわば「責任規範」の制約性が強いとされる分野では、情報実体の等価的再現を図るために、いかにして報道側の動機と読者のニーズを調和させるかを検討する。次は、「コミュニケーション規範」の角度から、STとTTの間における冗長な情報の変化率を指標に、文化、メディアの差異を目の前に、翻訳者が異文化間のコミュニケーションの仲介者として、いかに冗長な情報を調整することで、有効な情報の等価的伝達を果たすかを考察する。最後は、STとTTの間における情報価値の等価的転移をめざし、翻訳者がいかにしてSTのジャンルと文体の特徴をTTに再現するか、いわばSTとTTの「関係規範」を築き上げる。

以上紹介されてきたように、本論文で利用する研究方法は、実例収集、比較分析、情報測定、統計検定に基づく量的·質的分析などを含んでいる。全体的な研究枠組みは、下の【図1-1】のとおりである。

図1-1 記述的翻訳研究の段階的展開

このうち、aの「情報不変項目の同定」、bの「情報シフトの観察」、およびcの「規範の構築」は、本論文の中核となる各論述部分が従うべき研究手順である。そのことを明確に示すために矢印をつけてみた。数字1、2、3でマークしたのは、以上の研究手順に照らしてそれぞれ展開され、3つの項目にわたる考察である。